はじめの計時は?

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はじめの計時は?

 暦が活用されたのは最終氷期の狩猟収集社会だと言われています。棒や骨などを利用して月の位置と満ち欠けを観察したのが初めのようです。ストーンヘンジは夏至の日の出が中央から昇るように作られています。先史ヨーロッパを主としてストーンサークルも数多く利用されていて、春分、秋分や夏至、冬至の判定に応用されました。ストーンヘンジもその1つです。

ただし、これら巨石文明の時代の文献資料が残ってないので、本来の使い方、役割は不明のままです。 様々な古代文明で太陽や月に象徴される天体観測が実施されていて、それと関連付けて時間、日付、季節が決められていた。

1日の時刻の確認に使われた初めての時計は日時計でした。今日では世界で広く使用されている60進法の時間単位は、約4000年前の古代メソポタミア文明、及びエジプトで考えられたものです。時代的には後になりますが、60進法はメソアメリカでも利用されていました。一番旧型タイプの日時計は古代エジプトで作成されていて、緑色片岩を加工したものでした。紀元前3500年頃にデザインされたオベリスク(方尖塔)もまた日時計の機能もあったようです。

パリのコンコルド広場にあるルクソール神殿から移設したオベリスク エジプトでは日中を10に分けていました。オベリスクはそれに合わせて作られていて、エジプトの人々は午前と午後を、または季節を認識することができました。紀元前1500年頃には日時計の影を作る部分がT字型になり、その形の歪で時刻の補正ができるようになりました。

しかし、形を如何に工夫しても、日時計は曇りや夜など太陽が出ていない時には使えません。そこでエジプト人は、水時計、砂時計、天体図などを利用して時刻を知ろうとしました。水時計について残っている最も古い文献資料は、紀元前16世紀のアメンエムハト[要曖昧さ回避] の墓碑銘で、この内容から彼が水時計の一つを発明したと言われています。数々の水時計が開発されており、中には極めて複雑な構造のものも存在しました。

その一つは器の底に小さな穴が開けられた物で、水面の高さから時間変化を認識することができました。有名なのは古代エジプト第18王朝の第2代ファラオ、アメンホテプ1世の墓で出現したもので、ほぼこれが古代エジプトで初めて開発された水時計である。

砂時計も古代エジプトで開発されたものと考えられていて、その原理は今のものと一緒、2つの容器を細い管でつないだものだった。

水時計と砂時計の大きく違うところは、水時計は流れる水の速度が水面が低くなるにより次第に遅くなるのに対し、砂時計はほぼ一定速度で砂が下落する事です。この砂時計は逆さにすれば再び時を測ることが出来る物でした。

紀元前500年から紀元1世紀古代ギリシャの発明家クテシビオスが紀元前3世紀に発明した水時計「クレプシドラ 古代ギリシアでは水時計が導入されていて、「クレプシドラ」と呼ばれていた。プラトンはクレプシドラを応用した目覚し時計を誕生させています。プラトンの目覚まし時計は、夜中に水を注ぎ込み始めると、朝になって器から浸み出た水を活用して銅の球がたらいの上に落ち、音を立てる、というものでした。彼の創り上げた学校アカデメイアの学生はこれをシグナルに起床したという。

一説によると、複数の容器がサイフォンの仕組みで繋がれており、最後の容器がいっぱいになると空気が押し出されて笛が鳴り響く仕組みだったという。

ギリシアと新バビロニアでは天体観測による時刻測定も実践されていた。 古代ギリシアの天文学者、キュロスのアンドロニコス  は、紀元前1世紀、アテネの風の塔と称される建造物に日時計、水時計を取り付けている。 ギリシアではかねてから、裁判の時間測定に水時計クレプシドラが活用されていた。後の古代ローマでもこの時計が活用された。これらの記録はいくつかの古文献にも解説されていて、例えばプラトンは著書『テアイテトス』の中で「人々は水の流れに急かされてついつい早口になる」と書いています。

また、アプレイウスは『変容』 の中で「法廷の役員は、検察側の証人を呼ぶ時刻になったと大声で叫んだ。演壇に上った老人を私は存じ上げなかった。彼は時計の中の水が空になるまで延々と話し続けた。球体の中の水は、細い管をジワリジワリと通りながら、スッポリと流れ出てしまったというわけです。」と描写しています。

アプレイウスが描写しているのは、たくさんある水時計の中の1種である。これ以外だと、底に小さな穴が空いたタライを水に浮かべ、そのタライが水に沈むまでの時間を測るタイプのものもありました。 クレプシドラは室内でも、夜間でも、曇天でも使える便利なものでしたが、正確さはあまりありませんでした。そのためギリシアではこの改良が盛んに試みらたのです。

そのため、日時計の正確さには達していないものの、紀元前325年頃には大きく手直しされ、1時間単位で相当正確に楽に読み取れるようになりました。クレプシドラに共通したネックは水圧でした。

はじめに水がいっぱい入っているときは流速が高くなり、水が少なくなってくると流速が落ちるのである。この解決手段が紀元前100年頃からギリシア、ローマを通じて時計職人 の中において究明されました。水圧が一定となるように、タンクの形を創意を加えることが試みられました。この改善により、水時計の正確さは相当洗練され、1時間ごとに鐘が鳴ったり、時計の戸が開いて内側からちっちゃい人形が出てきたりするみたいなカラクリが組み入れられるようになりました。

その他、温度が与える影響もあり、水が冷たいと流れ出すのに時間がかかり、往々にして凍ったりするが、彼らはこれを改善することはが叶わなかった。

ギリシア時代とローマ時代を通じて水時計の技術は大いに上がったが、日時計も使われ続けました。数学者で天文学者のビテュニアのテオドシオスは、緯度の影響を補正する日時計を発明したとされていますが、詳細は伝わっていません。数学書や文学書の中で、日時計に関して述べられたものがいくつかあります。著書『建築について』で知られるローマの建築家ウィトルウィウスは、日時計グノモン  の構造に関して解説しています。ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの時代には、「アウグストゥスの日時計」 と呼称される巨大グノモンを建設しています。これに活用されたオベリスクは古代エジプトの都市ヘリオポリスから運ばれました。アウグストゥスはカンプス・マルティウスのオベリスクを使って「アウグストゥスの黄道日時計」も作っています。古代ローマの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスの記録によると、ローマに最初の日時計がデザインされたのは紀元前264年のことであり、シチリア島の都市カターニアからもたらされたものです。ただしこれはシチリアとの緯度の違いを考慮していなかったために当初は不正確であり、後に改善されたと記録されています

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